2016年05月03日

熊本震災支援(その-1)黒川温泉

大分県日田市から国道は通行止め熊本・大分を襲った巨大地震から二週間が経ち、世間はゴールデンウィークに入りました。この間の余震は1千回を超え、まだまだ予断を許しませんが、被災地周辺はいつもこの新緑の季節、多くの観光客が押し寄せる観光地ながら、GWの宿泊キャンセルが相次いでいるという報道がありました。

福岡に住んでいた学生時代から、雄大な自然のある阿蘇周辺が大好きで良くツーリングをしていた私にとって、せめて今できる支援としては、被災者に迷惑にならない形で現地の近くに赴いて宿泊を伴う観光でキャンセルの穴埋めをし、少しでも現地の状況を把握することだと思い、5月1日(日)午前中、東広島で行われた地鎮祭に参加したその足で、熊本県南小国町の「黒川温泉」に向かいました。

日田から阿蘇へ向かう主要国道さえも落石などによる通行止めにも遭遇しましたが、広島からおよそ6時間かけて、無事黒川温泉の宿『奥の湯』に辿り着きました。

黒川温泉奥の湯到着!奥の湯の夕食お品書き
4月14日の地震から二週間は休業していたものの、GWスタートの29日から営業再開し、29ある旅館のうち24の宿が通常営業をしていました。この黒川温泉は、震災がなくても交通アクセスは悪く、名所旧跡も雄大な景色も望めない「秘湯」ですが、温泉組合が一丸となって景観の保護や緑の育成を手掛け、一躍人気になった小さな温泉街です。

黒川温泉に到着したのは午後6時過ぎ。温泉街中心部は、普通車の離合も難しいほど山奥のひなびた小さな温泉街で、まだ震災後の落石で通行止めになった道路もあります。午後7時からの食事まで少し温泉街を歩き、渓谷と庭が望める部屋で夕食を頂きました。宿泊客の名前を記載したお品書きに、食べきれないほどの地元産の料理が並び、私は地酒の『小国峠』の冷酒も頼みました。ちょっとでも地元に循環するお金の使い方をしたかったからです。

翌朝、朝4時55分に余震で目覚め、眠れないため5時過ぎにまた温泉街の散策に出かけました。

黒川温泉中心部和を演出したRC造の旅館

私が黒川温泉の存在を知ったのは、あるマーケティングの専門家が教えてくれた『黒川温泉のドン 後藤哲也の再生の法則』という朝日新聞社の本から。周りに阿蘇や久住高原、湯布院など、雄大な景色と数多くの温泉地が存在し、観光地としては悪条件しかないような小さな「湯治場」が、どのように人気の観光地になることが出来たのか、1970年代からの悪戦苦闘が書かれていました。

実際にゆっくり2〜3時間歩いてみると良く分かりますが、建物も街並みも、日本人にとって心地いい空間が続いています。温泉街は「人を中心」に考えられていることが分かり、車にとっては不便でも、浴衣を着て温泉巡りするにはとても趣のある街並みや風景です。

奥の湯の外湯本にも書かれていましたが、とにかく「日本のふるさとをつくろう!」というコンセプトで、温泉組合加盟の旅館がそれぞれ自己主張せず、日本人の頭の中のふるさとのイメージを大切に、街全体が雰囲気作りをしていることが感じられます。小さな資本で、考え方もバラバラな山村の旅館が、これほど徹底して雰囲気をつくり守るということは、他でも真似出来そうであっても、実際には容易ではありません。

立地条件の悪さや知名度の低さを克服するためには、1つの旅館が、お土産店が有名になって儲かればいいというものではないことを気づかされます。誰一人として雰囲気を壊すと台無しになるのです。

外観からは木造に見える旅館も、画像の三階建ての旅館のほか、いくつかの建物は法令に基づき鉄筋コンクリート造に瓦屋根を葺いて、外壁も木でお化粧をしています。旅館の敷地内だけでなく、街中が緑に埋もれるほど、植樹がなされています。

この木々は、あえて雑木を選び、自然に生えたように見えるよう1980年代から時間を掛けて植えてきたもの。建物や景色が隠れるほどの新緑が、これほどまでに街の雰囲気づくりに有効で、景観を形作っているということを体感することが出来ました。

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